

2011年GWに『これでいいのだ!! 映画★赤塚不二夫』
大・大・大公開!
映画を見る前に、映画を見た後に
「武居記者」と『レッツラ★ゴン』を知っておこう!
だいたい「武居記者」って、
誰?

1.編集者? 登場人物?
『おそ松くん』から『もーれつア太郎』、そして『レッツラ★ゴン』、赤塚先生と二人三脚でマンガを作ってきた『少年サンデー』の武居記者。ただの編集者なのに、毎週のように『レッツラ★ゴン』に登場しては、好きなように暴れていたとは驚くばかり。
最初は、名前だけ




2.共犯者を得た『レッツラ★ゴン』
当時の武居記者は、「毎朝フジオ・プロに出勤していた」というエピソードがあるように、赤塚先生と寝食を共にする勢いで作品作りに取り組みました。そのおかげ(?)か、『レッツラ★ゴン』には、頻繁に武居記者と赤塚先生とのやりとり



ふたりは、マンガ家と編集者という関係を超えた、同志? いえ、それは、りっぱな共犯者

武居記者は、すっかり赤塚不二夫を痛めつける非常識な豪腕記者





赤塚先生は、どんな「遊び」よりも刺激的でおもしろいマンガの世界で、思いっきり「遊ぶ」ことに熱中していました。
ところで『レッツラ★ゴン』って、どんなマンガ?

1.『レッツラ★ゴン』誕生秘話
1970年代に入ったばかりのころ、赤塚先生は、新しいマンガを生み出そうと模索していました。これまで『おそ松くん』では、ホームドラマの枠を超えたスラップスティックを実践し、『もーれつア太郎』でキャラクターをクローズアップし、『天才バカボン』では、徹底したナンセンスギャグと実験的な手法で読者を喜ばせてきました。
さて、次はどんなことで読者を笑わせよう……?
新連載直前のこと、アメリカ旅行をしながら構想を練っていた赤塚先生から、サンデー編集部に一枚のFAXが送られてきました。
そこに書かれていたのは「レッツラ★ゴン」

2.飛躍のきっかけ「伊豆の踊子」
1971年9月『少年サンデー』に連載がはじまった『レッツラ★ゴン』
当初は、クールな少年ゴン



が、これで満足する赤塚先生ではありません。
連載スタートから約8ヶ月が過ぎたころ、アイデアを練っていた赤塚先生は「これだ!」と、確かな手応えを感じました。そのときに描かれたのが『伊豆の踊子』

ここから、『レッツラ★ゴン』の暴力的なまでのシュールな世界が開けていきます。
キャラクターたちは、読者を置いてきぼりにするほどの破壊力とスピード感で、水を得た魚のように激しく動き始めたのです。
3.語り継がれる衝撃マンガ
こうして描かれた「ギャグのためなら何でもアリ」のマンガが『レッツラ★ゴン』です。時には設定も背景もキャラすらも「余計なもの」としてどんどん排除され、最後には純粋なギャグの結晶

そんな『レッツラ★ゴン』ですが、中心読者だった小・中学生が必ずしも心待ちにしていたマンガとはいえませんでした。
少年たちにとっては、難解すぎたのです。
ただし、当時の小・中学生が大人になった今「スゴかった!」「ヤバかった!」
「ぶっとんでいた!」と振り返るような衝撃作だったのは確かです。
って、どんな映画?
2011年GWに公開の映画『これでいいのだ!!映画★赤塚不二夫』は、原作の『赤塚不二夫のことを書いたのだ!!』からさらにエピソードをふくらませ、実際にはなかった出来事もたくさん追加されました。
そうすることで、70年代の雰囲気が楽しめる、新しいエンタテイメントが誕生したのです。
だいたい、あの「デカバナ」武居記者が、真面目でうぶな女性記者に設定変更され、透明感のあるビジュアルでファンを魅了する実力派の堀北真希さんが演じることからも、現実との違いがわかるでしょう。
赤塚先生役は、日本映画界が誇る俳優の浅野忠信さん(まさか!)。
美しすぎるおふたりと本物とは余りにも違いすぎますが、あくまで「映画」と、どうかお許しください!
フジオ・プロでは、当時赤塚先生が『レッツラ★ゴン』のために描いた扉絵を、この映画のためにリメイク
するなど、作画協力もしました。
そうすることで、70年代の雰囲気が楽しめる、新しいエンタテイメントが誕生したのです。
だいたい、あの「デカバナ」武居記者が、真面目でうぶな女性記者に設定変更され、透明感のあるビジュアルでファンを魅了する実力派の堀北真希さんが演じることからも、現実との違いがわかるでしょう。
赤塚先生役は、日本映画界が誇る俳優の浅野忠信さん(まさか!)。
美しすぎるおふたりと本物とは余りにも違いすぎますが、あくまで「映画」と、どうかお許しください!
フジオ・プロでは、当時赤塚先生が『レッツラ★ゴン』のために描いた扉絵を、この映画のためにリメイク


